振り返り

地震発生からどんな感じか振り返った。

11日

地震発生時は普通に仕事をしていて、地震発生の時には"またか"とか思った。しばらくすると揺れが強くなって本棚のものが飛び出し始めたので、トチ狂って本棚を押さえに行った、その後さらに揺れが強くなり、"あれ、もしかしてこれ本棚倒れてきたら俺死ぬんじゃね?"とか後悔してたらなんとか揺れは収まった。
その後、緊急放送が流れたので、ビルから避難して、外で待機。誘導で防災管理者の資格が初めて役に立った。


待機中に同僚が携帯で調べて半端ない規模だということを知る。
エレベータおよび亀裂のチェックで2時間ぐらい外で待機になったが、上着を忘れて避難したため凍え死ぬかと思った。
その後、エレベータは止まっているものの、ビルに入るのはOKになったので、オフィスに戻って本棚を片付け、不在だった社長に報告してその日は帰宅。


家に戻ったら、実家からきていた母者は避難すらしていなかったと聞いて"それはそれでどうなんだろう…"と思ったが、免震?のおかげなのか被害はほぼなかった。
ローラー台において壁に立てかけて置いただけの自転車も無事だった。


停電でスリープ中のPCの電源が落ちたものの、ハイブリッドスリープだったので、ハイバネート状態から復帰した。
そのあと、母者が帰るためのルートを検索し、寝た。

12日

母者が帰った後、外出せずに怠惰な休日を過ごす。
屋上タンクが大きいのか、断水でも水は普通に出ていたので、節水はしたものの特に困ることはなかった。

13日

買い物に行ったら、"カップラーメンが売り切れで棚に何もない"という珍しい状態に遭遇した。
メッセで知り合いと安否確認をして、よくよく考えれば自分が一番被害だ大きいところにいたことに気が付いた。

14日

自宅待機なのか、会社があるのかよくわからなかったので、とりあえず会社に行って、ビルの管理者に"入ってよいか"と聞いたら、"自己責任"と言われて、少し怖かったが、オフィスに行ってメールチェックしたら自宅待機ということだった。
帰ろうとして自転車に乗ったら、会社の人と会って、サーバーの操作をしてほしいといわれたので、一度戻ってサーバーの電源を入れて帰った。
とりあえず、家にあった食べ物を食べつつ、AWKカリカリ書いてた。
停電があるとのことだったが、実行されないというニュースを聞いて少し安心する。

15日

自宅待機か、用があったら会社に来てもいいとのことだったので会社に行った。
仕事を片付けて、停電までには帰ろうと思っていたら、茨城は停電の対象から外れたということを聞いて、定時までやってきた。


とりあえず明日から通常勤務の予定。
運がよかったのもあるけど、そこまで深刻な事態にならなかったのは不幸中の幸いかなと思う。


今回、通勤の時にガソリンスタンドに車が殺到してるのを見たり、電車が止まったというのを聞くと、自転車は便利だと再確認した。